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第1回 ジェネリーノキング インタビュー

都内にいる人間なら、誰もが食しているあの有名な「名代富士そば」
2代目を継ぐ、KINGな男!柔らかい物腰と爽やかさの中に、ブレない強さを感じる「丹有樹」さんインタビュー!

 

名代富士そば ダイタングループ
代表取締役社長 丹 有樹氏

丹有樹(たんゆうき)氏 プロフィール
1974年神奈川県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。大学卒業後テニスコーチとして働きながら転戦。
プロテニス日本の立ち上げに参加し、その後立ち食いそば「名代富士そば」を展開するダイタングループ入社。二代目として活躍。

反抗期がなかったんです。 勉強が出きて「超優等生」だった。
面白くない、「モロい」子どもでした。

松)丹さんはどんなお子さんだったのでしょうか?

丹)僕はめちゃめちゃ優等生でしたね。運動はそれほどでもありませんでしたが、勉強は出来て。小、中、高と桐陰に行きましたが何の問題もありませんでした。親に逆らおうとした経験もあまり無いですし。言われたことはちゃんとやる真面目な子どもでした。

松)もう少し、やんちゃなイメージがありました(笑)

人生初めての挫折は、「東大」を落ちた事でした。
絶対受かると思ってましたから、僕の中でいろいろなものがプツンと切れてしまって。(笑)

桐陰では高校生になって理数科へ入ってずっと一番上のクラスにいたので、当時は東大コースまっしぐらです。人生で最初の挫折といっていい出来事は東大を落ちたことでした。東大へ行ってテニス部に入りたいとずっと思っていたので、かなり落ち込みました。
僕の中でいろいろなものがプツンと切れてしまって。じゃあこれからはテニスをしまくろうと。それから本当にずっとテニスばかりしていましたね。
うまれて初めて自分から「してみたい」と思ったテニスに出会ったのは小学校4年生でした。

松)丹さんはテニスを長く続けてこられたようですね。

丹)父親がテニススクールに通い始めて、僕もそこに付いて行ったのがきっかけでした。習い始めたのは小4です。自分もやってみたいと思って。
クラブのスクール生トーナメントがありまして、そこでたまたま準優勝したんです。ほかのスポーツは決して得意ではなかったので、自分の中では俄然盛り上がりましたね。頑張るようになったのはそこからです。でも同い年の女の子に3年間勝てなくてずっと準優勝でした。ほんとに悔しかったのを覚えていますね。あの悔しさがあったから、ずっと続けてきたのかもしれませんね。

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「お前は体育会系で芽が出るタイプじゃない」と言われ、テニスクラブへ。
おかげで大学留年(笑)

松)テニスに一番のめり込んだのは大学生になってからですか?

丹)そうです、大学以降ですね。高校の最後の戦績は神奈川でベスト16だったので、大学でのテニスは体育会系へ行くかサークル系かで迷いましたが、当時習っていたあざみ野ローンテニスクラブの師匠に
「お前は体育会系で芽が出るタイプじゃない」と言われ、クラブでコーチとして働きながら、テニスを習い、転戦するという道を選びました。当時は大学へもほとんど行かずひたすらテニスに打ち込んでいましたので、1年生の時に留年してしまいました。

学生時代はひたすらテニス。
コーチングして物事が良い方へ変わっていく、そこはすごく面白いと思いましたし、教えることによって視野も、ぐっと広がったと思います

松)テニスコーチをしていた時、何が一番面白かったですか?

丹)「教える」という作業が、僕はとても楽しくてずっとはまっていました。人への興味を強くしたのは多分その時からです。普通のクラブは、今週はフォアハンド、翌週はバックハンドというように課程が決められていると思いますが、当時のあざみ野ローンテニスクラブはちょっと変わっていまして、カリキュラムがほとんど無かったんです。そこはコーチが全部決めていいというスタイルでした。
僕はメインのコーチが休んだときなどに空いた時間を埋めるスポットだったので、レッスンへ行って生徒のレベルを見て、この人たちだったらこういうレッスンをしようとか、こうしたら面白いかなと考えて教えていました。

コーチングして物事が良い方へ変わっていく、そこはすごく面白いと思いましたし、教えることによって視野も、ぐっと広がったと思います。

松)丹さんの師匠はどのような人だったのでしょうか。

丹)一人は名門高校出身のコーチで、中学生になって、外の大会で全然勝てない僕に最初に勝ち方などを教えてくれた人です。もう一人は、生き方とか、それこそ全部を教えてくれた人ですね。高校生の終わりくらいから彼がヘッドコーチだったんです。

松)人生の大先輩でもあったわけですね。

優等生は勝てない。自分の枠を決めたがり、負けてしまう。

丹)大学生になってから「勝ちたい」という欲求が強くなっていきました。僕は子供の頃優等生だったと言いましたけど、優等生では全然勝てないわけです。そもそも枠のなかでしか行動してこなかった人間ですから、どうしても自分の枠を決めたがり、だから枠からはみ出た物事に対応できずに負けてしまう。
このままでは試合に勝てない!と思いましたね。僕はそれまでの自分が理論ばかりを追求するタイプだったことに気づき、自分の発想を変えなきゃだめだ!と思いました。

丹)理屈でなくもっと感覚的なもの、右脳左脳で言えば自分がハッキリ左脳系の人間だと気づいて、右脳系に寄りたいともがいていました。今振り返ってみると、自分が試合に勝ちたいと本気で願ったことで、これまでの自分とは違う何かをしなきゃいけないということに気づかされ、自分で物事を突き詰めていった時期だったと思います。それをとことんやらせてもらえたことはとても幸せだったと思っています。

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会社設立に携わって経営を学ぶ。

松)大学を卒業してからはどうされたのでしょうか?

丹)大学を卒業してからもそのままクラブに残ってコーチを続けさせていただきました。
自分の好きな道を歩んでも、父親は何も言わず、黙って見守ってくれてました。
正直、ビックリしました。そして本当に感謝しています。
それから3年後に人生の師匠が起業をし、「テニスのイベントやトーナメントを運営していく会社を作るので一緒にやらないか」と誘っていただきまして。僕はずっとどこかで、いつかは父親の会社を継がなくてはと思っていましたので、これはきっと良い経験になると思いましてこの話に乗ったんです。プロテニス日本という会社でした。
ここで会社設立というものに携わり、そして潰れるところまで全部見させてもらいました。

松)潰れてしまうんですか!?

丹)スポンサーは携帯電話関係の会社でしたが、スポンサー料として1億1千万円を出すと言っていたのに、突然姿を消してしまったのです。1千万円だけ先に入金があったので、残り1億円もの負債を抱えてしまったわけです。4月に会社を設立、5月にそれが発覚して、既にいくつかイベントが決まっていましたし一番大きい大会は9月にありましたので、とにかくスポンサーを見つけようということで皆で走り回って。そこから3年位でしょうか、本当にまあよく働きました。

松)本当にすごい経験をされたんですね。

丹)頭を使って稼ぐということ、企業はどういう仕組みでどういうところを突いていけばお金が出てくるのか、しかも広告費だけじゃなくて事業費を合わせて引っ張ってくることでお金が増えるといった、そういった経営のこともこの経験で学びました。

稼業を継ぐ。苦労した起業の経験が生きて、スムーズに入れました。
そしてプロコーチ時代、黙って好きなようにさせてくれた父親に感謝をしています。

松)その後、後継者としてこちらの会社に入ったのですね?

丹)正式に入社したのは29歳の時でした。ダイタングループ全体の取締役として入社しました。

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松)会社の経営では何が一番大事だと思われますか?

丹)単純に言えば、一番大事なのは資金繰りだと思っています。資金の流れがプラスで回っていないと会社は潰れてしまいます。借り入れがいくらあってもいいですし、利益が少なくてもいいのですが、ただその月の現金収支がプラスで回っているかどうかという見方を僕はずっとしています。資金繰りで詰まると黒字倒産もありますので。

松)会社の運営を一番勉強したのは今の会社に入ってからですか?

丹)経営に対する考え方のベースはこの会社に入った時はもう持っていました。ただうちの会社はうちの会社の回り方をしているので、そこに対するアジャストのようなものは当然ありましたけれども。仕事感とか人に対する考え方というものは、やはりテニスコーチの経験やプロテニス日本の時代に培ったものが大きいですね。だからこそ黙って好きなようにさせてくれた父親に、感謝をしています。

やんちゃな子にはエネルギーがある。
男子は、早く世間に出してあげることが大事。社会に出るといろいろな人に出会い、たくさんの理不尽なことがあるから。

松)会社ではどんな男性の人材に注目しますか?

丹)僕はやんちゃな子が好きなんです。やんちゃな子はすごく面白いと思います。言われたことをはいはいって言って、ただこなして行く人間よりも、ちょっと余計なことをやっちゃうような、やらなくていいことまでしてしまう子。自分で考えた企画が当たりもするし、大ハズレもしてしまうような子の方が、仕事を楽しくやりますね。彼らはつまり、余計なことをするエネルギーがあるわけです。そのエネルギーがあるからこそ多少の失敗でもめげないですし、それはすごいなと思います。

松)本当にそうですね。
そういう子に育てるために親としてはどうすればいいのでしょう?

丹)そうですね。世間に出してあげることが大事なのかなとすごく思います。世の中に出るといろいろな人に出会い、たくさんの理不尽なことがあるわけです。僕の場合は言ってみれば温室育ちだったわけですが、そんな僕のケツを蹴っ飛ばしてくれたのは師匠だったわけです。
師匠の一言は理不尽なことだらけで、でもやらなきゃいけない。文句を言いながらもやる。師匠の無茶ぶりを経て僕もずい分強くさせられました。
僕はあの大学生からの10年間くらいでググッと成長したと思います。もちろん自分で成長しなきゃいけないと感じさせられもしました。特に男の子はどこかでそういった経験をしないといけないと思っています。

サラリーマン化する社内で暴れ回る日々。
海外スタッフのバイタリティと強さ。

松)今、ご自身をやんちゃになったと思われますか?

丹)僕はここ数年、新業態の店を出したり海外に店舗を作ったりして、社内で暴れ回っています(笑)。社内では、どうしてあの人はそんな余計なことをするんだろうと、そういう目で見られていると思いますが、僕はそれが今のうちの会社には絶対必要だと思っているんです。
以前は同じ仕事をしていながらも、その中にいる人たちはバイタリティがものすごかったんです。だんだん会社も大きくなって、働いている人も良い意味でも悪い意味でもサラリーマン化してしまったなと感じて。そうするとやることがどんどん無難になってきてしまうので、この会社の行き先が見えて来てしまうというか。でも、世の中がこのまま進んでいくと言うことはないですから、組織の硬直化は怖いと思っているんです。昔の自分が、優等生ではあったけど、予想しない出来事や変化に対応できなかった経験があるので、逆にそこに怖さを感じていて。

松)海外店舗を立ち上げている方はどのような方ですか?

丹)海外進出の話に乗ってきたスタッフはすごくパワーがあります。インドネシアで店を立ち上げた時のスタッフ達は、言葉もわからないのに、店作りに一生懸命取り組んでいました。どうやったのかわかりませんが現地の人達とちゃんとコミュニケーションを取っていましたし、帰国する時は皆に惜しまれて泣かれていました。文化も言葉も違う環境のなかで、仕事をしっかりこなして、しかもそれだけ愛されて、、、強いなあって思います。そしてそういう彼らのほとんどは中卒とか高卒のやんちゃな子なんです。1人大卒の子もいましたが、彼もずっと野球部で頑張ってきた男でバイタリティがあるんです。

働いている女性でも専業主婦でも、お母さん自身も自立をするというのがとても大事だと思っています。
子どもを自立させる事を目標として欲しい。

松)お母さんたちが子供を育てる上で大切なことは何だと思いますか?

 

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丹)僕は話をしてきたように優等生として育ち、優等生である自分に限界を感じてもがいてきたので、子供にはどんどん自立をしていってほしいと考えています。
そういう意味では、働いている女性でも専業主婦でも、お母さん自身も自立をするというのがとても大事だと思っています。
自立の反対は依存ですね。仕事や趣味や精神的な意味も含めて、依存をする状態から自立していく経験をもたないといけないと思います。自立していく経験があれば、子供が自立をしていく過程で、苦しんでるけど今は学んでいる時期なんだな、というのが見えて来たりします。

自立した経験の無い人はそこがわからないから、苦しんでいるときに変に救いの手をさしのべてしまって、自立を妨げてしまうのかなぁと思います。
子離れができず、結局お互いに依存し続ける親子関係になってしまいがちなのではないでしょうか。
子育ての途中ではどこまで親の方を向かせて、どこから先を自由にさせるかという判断は難しいかもしれませんが、最後は子供を自立させ卒業させる、というのが目標です。
自立という視点を加えると物事の見え方も少し変わるのではないかと思います。

手放してくれた親に感謝。両親は、出来る親なのだなあと思います

松)丹さんがここに至るまで、お父様お母様は静かに見守っていてくれたのでしょうか。

丹)そうだったと思います。特に父親はそうでしたね。大学卒業後にテニスコーチを続けることに対しても何も言いませんでしたし、後を継げと言われたこともありませんでした。ただ一度だけ、師匠と会ってくれたことがありましたね。師匠がどういう人なのか、信頼できる人物かを知りたかったのだと思います。母も子供の頃からずっと僕をサポートしてくれて、本当に感謝しています。子供の頃は細かいことをたくさん言われましたが、どこかのタイミングで僕を手放してくれたのだと思います。あの二人は出来る親なのだなあと思います。

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嫁から言われます「貴方のお母さんは本当に素晴らしい人」だと。

丹)今、嫁が自分の母親を心から尊敬してくれています。「あんな素晴らしいお義母さんはいません」と言ってくれています。考えてみたら母親の存在はいつもいて当たり前だった。それだけ自分を信じて見守ってくれる存在で、改めて感謝したことはなかったけど、ずっと見守られている安心感があるから、もがいていられたんだと思います。自分にとっては、本当に感謝している、かけがえのない人です。


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聞き手/松前博恵(文章/坂 真智子)