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第14回 ジェネリーノキング インタビュー

「かわいい子には旅をさせよ」というけれど、
つい手を貸して、自立させるチャンスを逃してしまいがちな昨今の母親たち。
ここはグッとこらえて、厳しくも温かい目で見守ってあげましょう。
そして、子どものことをちょっと脇に置いて、
自らの人生を楽しみましょう!
そのくらいがちょうどいいのです。
高級化粧品専門メーカー、アルビオンの創業家に生まれた
小林勇介氏の母上はまさにそれを実践した方。
「私って過保護かも?」と悩む母にぜひ読んでもらいたいストーリーです。

kobayashi

株式会社アルビオン
取締役
国際事業本部 本部長
小林勇介(こばやしゆうすけ)氏
1970年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、大手航空会社に勤務。2000年に株式会社アルビオン入社。国際事業部 専門課長、商品開発統括部 部長を経て、2005年3月に国際事業本部 本部長、同年9月に国際事業本部 執行役員本部長に。2006年9月より現職。

何事も経験することで
身につき、強い力になる!
大人になってわかる母の懐の深さ

「最後まであきらめない」
偉大な創業者、祖父からの教え

日本を代表する化粧品メーカー、コーセーの創業者を祖父にもち、父は高級化粧品専門メーカー、アルビオンの取締役名誉会長という小林勇介さん。自身も父の会社で国際事業本部長という重要なポジションに就き、社長を引き継いだ兄をサポートする。さぞや幼い頃から帝王学と呼ばれるような教育を受けてきたに違いないと思いきや、意外にも高校に入るまでずっと公立育ち。

「教育や学校のことを、どうこう言う親ではなかったですね」

小林さんが生まれた当時は、アルビオンが誕生して14年が経ち、いよいよ拡大期に入るという頃。父は仕事に忙殺され、ほとんど家にいなかったという。そんな父に代わって息子たちを育ててきたのが母だ。

「7歳違いの兄とは生活時間帯がまったく違っていたので、一人っ子のような感じでしたね。外交的な兄とは違い、私自身はどちらかというとおとなしいタイプ。そのせいなのか、習い事はたくさんさせられました。スケジュールが詰まってイヤだったのですが(笑)。水泳、サッカー、テニス、習字、絵、ピアノ。小学校5、6年の2年間は、週末になると、泊まりがけでヨットスクールにも通っていました。冬になれば1週間ほどスキー合宿に参加することも…。小さい頃から親元を離れて学ぶ機会を与えてくれたのは、早く自立させようという考えがあったからだと思います」

それぞれが多忙な小林家では家族揃って食卓を囲むことは少なかったが、その代わり、ゴールデンウィークや夏休みなどには家族旅行のほか、いとこたちと一緒に集まる機会があり、それがとても楽しみだったと小林さんは話す。大人になった今でもよく覚えているエピソードがある。高校生のとき、祖父と一緒に回ったゴルフだ。ホールまであとわずかというところでパットを外した小林さんは、「仕方ない」とその場からゴルフボールを拾い上げてしまった。すると祖父が「途中であきらめるな!」と一喝。

「最後までやらなきゃダメだ、と怒られました。ホールにちゃんと入れるまで、ラインを見て構えろ、と。高校生を相手に、遊びのゴルフにもかかわらず、なぜそこまで言うのか驚きましたが、『どんなときでも最後まであきらめるな』という言葉は、祖父の教えとして心に残っています」

時間に厳しい母の真意とは
人に迷惑をかけないこと

「最後まであきらめない」という教えと同じように、小林さんの体にしっかりと身についている教訓がもうひとつある。もはや小林家の家訓、いやアルビオンの社訓といっても過言ではないだろう。

「時間に厳しくあれ、ということです。母からの教えですね。とにかく時間にはうるさかった。待ち合わせならば30分前集合は当たり前。自分は何時間待ってもいいから、人を待たせるなと教えられました。その根底にあるのは、人に迷惑をかけないということ。この教えは、兄や私を通じていつしか社員にも徹底されるようになりました」

どんなにすばらしい仕事をしても、時間に間に合わなければ、意味がない。時間にルーズであれば、途端に信用を失ってしまう。人と人との関わり合いのなかで大切なことを、母は厳しくしつけてくれた。そんな母の日常はちょっとユニークだ。

「夕方の6時頃にはお化粧を落として、7時とか8時には寝ちゃうんです(笑)。その分、朝は早い。起床は3時かな。昔も今もそれは変わりませんね。大事な話をするなら、夕方6時前に電話をしないとつながりませんから(笑)」

それにしても、一体なぜ?

「私が小さい頃は、朝のうちに家事を片付けて、大好きなテニスの早朝練習に行っていましたね。とにかく元気なんですよ。熱を出して寝込んだことなんてないんじゃないかな(笑)」

いつも元気に迎えてくれる母がいたからこそ、家に帰ると安心したという小林さん。確かに、笑顔で「おかえりなさい」と声を掛けてもらえたら、少々ふさぎ込んでいたとしても、心がパーッと晴れやかになるだろう。

「今でも『人生を楽しまなくちゃ!』ってよく言っていますよ。癒やし系の父とは対照的に、バイタリティのある母ですから(笑)」
好対照の両親がケンカをしている姿はこれまで一度も見たことがないという。きっと母は小林家の太陽のような存在だったに違いない。

自分の強みを見つけることの
大切さを知った新卒時代

「時間には厳しい母でしたが、子育てに関しては大きな枠があって、その中では自由にさせてくれましたね。少々のことなら動揺しない。胆が座っているという感じ。だから、学校のことはもちろん、就職についてもあれこれ言うことはありませんでした」

創業家に生まれたならば、後継者になるべくレールを敷かれるのではないかと思うところだが、小林家の息子たちは皆、進みたい道を選び、さまざまな経験をした後に、自らの意志で父の会社へ入社している。

「私は飛行機オタクだったので(笑)、飛行機に関わる仕事に就きたいと航空会社に入りました」

最初の1年半は成田での勤務となり、初めての寮生活を体験した。おかげで、苦手だった人とのコミュニケーションも、自然と身についたという。

「主にCAのスケジュール管理を行う部署に配属されたのですが、自分には何の取り得もないため、最初の頃は悩みの多い日々を送っていました。そんな中、ある時先輩に『自分の特長は何だ?』と尋ねられたことがありました。そこからですね、仕事に対する意識が変わったのは。自分にできることは何か? そしてめざしたのが『絶対にミスをしない男』。言われた仕事は誰よりもすばやく、そして正確に行うことを徹底しました」

その甲斐あって、部署内では徐々に信頼してもらえる存在となり、小林さんは退職するまでの8年間、ずっと同じ部署で大切な業務を任されていたという。

「そうした経験があるから、新入社員には『どんなことでもいいから、コレというものを温めて、それを生かしてほしい』と言うんです。得意分野をもっていれば、自信につながるし、どこへ行っても仕事ができますから」

今、つくづく思うのは、さまざまなことを経験させてくれた母への感謝だ。自分自身で大切なことを気づけるように仕向けてくれたのだと実感する。

「小学生の娘がいますが、自立してほしいという思いは強いですね。けれど、つい手を貸して過ぎてしまうことも…。パパ友に『もうちょっと放っておいてもいいんだから』なんて注意されることもありますから(苦笑)。たとえば、自転車の練習とかね。確かにそのとおりで、私が手を貸すのをやめたら、たちまち乗れるようになりました(笑)」

子どもは何でもできる力をもっている。それが育っていくのを、親は厳しくも温かい目でじっと見守っていくだけ。それは親として、かなり勇気がいる。自分が親になって初めてわかる、母の懐の深さだ。

 


松前後記:

現在、アルビオンさんとお仕事をさせて頂いている中で、
女性社員の皆様が、本当に笑顔か素敵で、生き生きと
されていらっしゃり、また、与えられている権限
が大きく、仕事のやりがいを感じていらっしゃる雰囲気が伝わります。
企業と言うのは、経営陣の賜物だと私は感じるのですが、
女性が、やりがいを持てる働きやすい環境は、
小林本部長などの手腕によるものではないかと思います。
いつも笑顔で、何事にも動じない雰囲気の小林さんが
どんなお母様に育てられたのかを知ることが出来て、
「なるほど!」と納得してしまいました!
インタビュー、本当に楽しかったです。
これからも、末長く、どうぞよろしくお願いいたします!

聞き手:松前博恵 ライター:室作幸江 カメラマン:柏田 貴代