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第10回 ジェネリーノキング インタビュー

働く母ならば誰もが多かれ少なかれ悩むこと――。
「子どもが小学生のうちはそばにいたほうがいいかしら…」
そんな親の思いとは裏腹に、子どもは意外にたくましいもの。そして、親の背中をよく見て育ちます。

現在、経済界でも注目される中古車販売・輸出ビジネスのビィ・フォアード社長、山川博功氏もそのひとり。厳しい仕事人の母親のもとで育てられたといいます。
子育てのために仕事を続けるか否か悩んでいる母にぜひ読んでもらいたいストーリーです。

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株式会社ビィ・フォアード
代表取締役 山川博功(やまかわひろのり)氏
1971年鹿児島県に生まれ、福岡に育つ。明治大学卒業後、大手自動車販売会社に勤務。在学中からオートレースに出場していたが、その費用捻出のために、転職して運送業や宝石販売などを経験。99年に車の買取りを手がける有限会社ワイズ山川を設立。2004年、株式会社ビィ・フォアードを設立。自社ECサイトを通じて、中古自動車や自動車部品の販売および輸出入を行う。創業10年で年間12万6千台を超える中古自動車を、アフリカをはじめ世界100ヵ国余りに輸出する企業に成長させる。30言語に対応し、社員の国籍も26ヵ国に渡るグローバル企業。

若いうちに試練に遭い、訓練しておくことで
折れない心が培われる

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仕事に厳しい職人魂の母のもとで育つ

「人にも自分にも厳しい人」
母のことを、山川さんはそう表現する。21歳で山川さんを産んだ母は、中卒ながら、弟子を数名抱える美容室を経営していた。
「週に1日、定休日がありましたが、着付けもしていたので、依頼があれば仕事に行き、そうでなければ新しいヘアスタイルの研究をして、1年365日、ほぼ毎日働いていましたね」
運動会など学校行事に母が来ることはほとんどなく、授業参観も仕事の合間を縫って顔を出す程度。
「母は今になってそれを後悔しているのか、『(当時は)さみしかった?』と聞くのですが、そんなふうに思ったことはまったくなくて。たぶん弟も妹もそうだと思いますが。それよりも友達の母親より若くて、美容師だから綺麗にしている母がわずかの時間でも来てくれることがうれしかったですね」

そんな自慢の母だったが、美容師として若い弟子たちに求めるものは相当高かったようで、彼女たちが店の裏手で泣いている姿を何度見たかわからない、と山川さんは振り返る。今なお現役の母は、美容師となった妹と一緒に働いているが、やはり職人魂は衰えていないそうだ。つい先日も妹は「16年間一緒にやってきたけど、もう無理かも…」と夜中に兄に電話をかけ、泣き言を並べたという。わが子とはいえ、仕事には厳しく、自分のやり方を貫く性分らしい。
母とは対照的に、仕事よりもスポーツを楽しむ父は明るく気さくな性格。百貨店の外商部に勤めるサラリーマンだったが、後に宝石商として独立。けれど、母ほど仕事一辺倒ではなかった。

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「両親ともそれぞれ経営者という家庭環境だったので、いずれ自分も何かしら商売をやろうと思っていましたね」
28歳という若さでビィ・フォアードの前身である「有限会社ワイズ山川」を設立した山川さんだが、それは子どもの頃から秘めていた思いが結実したものであった。

すさまじい稽古の剣道で、培われた強い精神力

独立するまで山川さんは自動車のセールスなどいくつかの仕事に携わったが、なかにはブラック企業といわれるような会社のきつい仕事もあった。電話営業のノルマが厳しい、土日の休みがない、先輩からいじめを受けるetc. だが、高校時代の部活動の厳しさに比べたら、どれも我慢のできるものだったという。
あれよりつらい思いはないですから

剣道がすべてだった日々。小学4年生のときに、自らの意志で始めた剣道。町の道場に通って以来、小中高ずっと剣道一筋。とりわけ高校は剣道王国・九州のなかでも名門校に進んだ。当然、稽古は厳しい。土日はおろか、一年のうちで休みは大晦日と元旦のみ。2日には帰郷した先輩たちによる寒稽古がある。
「世の中に休みがあるなんて知らなかった」。

今でも思い出すと、胸が苦しくなる出来事がある。夏の大会の直前に実施される1週間の合宿だ。夏真っ盛り、面を着けての早朝・午前・午後・夕方・夜の1日5部練は、想像を絶する過酷さ。しかも、大会前日でもある合宿最終日にはとんでもない稽古が待ち受けている。実践に近い動きを練習できる“かかり稽古”なのだが、通常1対1で行うところ、円陣の中に一人残され、周囲から次々と攻撃されるのだ。翌日は大事な試合だというのに、ボロボロになるまで突かれたり、倒されたり。けれど、孤軍奮闘、ひたすらに耐え、多数の相手に向かっていく―――。

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「あの経験があったから、その後、どんなことがあってもつらくなかったし、耐えられました。だからこそ、息子にはスポーツをさせたい。人は誰しもつまずくときがあります。それが若ければ立ち直りも早い。でも、年をとってからだと、ダメージが大きすぎる。どう対処していいかわからない。若いときに試練に遭い、立ち向かい、やりこなす訓練をしておけば、いつ何が起ころうと、強くいられます。スポーツは、まさにそういう訓練の場なのです」

もしも、わが子が何かスポーツをやっていて、急に「もうやめたい…」と打ち明けてきたら、私たちは母としてどうするだろう? 「そんなにつらいのなら、やめてもいいのよ」とやさしく声を掛けるだろうか? 山川さんは首を振る。
それでは子どもが世の中に出たときに苦労するでしょう。『今よりもっとつらいことがあったらどうするの?』。そんなふうに叱咤激励するぐらいが男の子にはちょうどいいんじゃないでしょうか

今でも忘れられない、母に叱られた出来事

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「今でも母には頭が上がりません(笑)」
剣道で鍛えた心身をもち、いまや中古車販売・輸出ビジネスにおけるリーディングカンパニーのトップとして名を馳せる山川さんだが、母には叶わないと笑う。プロの美容師としてだけでなく、経営者としても尊敬しているそうだ。母の美容室は、価格ではなく腕の良さを売りにしていた。町一番高くて、一見さん(飛び込み客)はお断りの完全予約制。その代わり、その人にぴったり合うヘアスタイルを提案してくれる。価格よりもクオリティ―――。美容室としてのブランドがしっかりと確立されている。

「繁盛店でしたが、ときには厳しい時期もありました。売上が落ちたときは、夕飯のおかずが減るんですよ。ひどいときは、当時安かった太刀魚と大根が入った味噌汁とごはんだけ。共働きだったから、生活が苦しいということはなかったはずなんですが(笑)。商売の厳しさを子どもに教えたかったのかもしれません」
そんな母からこっぴどく怒られたことが一度だけある。部活動を引退し、進路をどうするか決めあぐねていたときだ。剣道漬けの毎日を言い訳に勉強を怠っていた山川さんは、入学以来、成績は低迷。何をやりたいのかもわからない。「これからどうしたいの?」という母の問いに、絵を描くのが好きだったことからつい「美大に行こうかな」と思いつきで答えると、「絵なんて、今までやったことないでしょ!」と一喝。「じゃあ、大学に行かずに、美容師にでもなろうかな」と言った途端、烈火のごとく母は怒り出した。

それはもう恐かったですね。自分の仕事を軽んじられたという思いがあったからでしょう。正座をさせられて、鬼のような顔でこんこんと怒られました
仕事に対してどこまでも厳しく、真剣な母。当時はただ恐いだけだったが、今なら母の気持ちがよくわかると山川さんはいう。
「20年ほど前から、母は趣味で社交ダンスをやっているんですが、それはコンクールに出場するほど真剣なもの。ときにはパートナーの男性をしかり飛ばしていることも(笑)。相変わらず恐いですよ。でも、『新しい衣装を買ってよ』とねだってくるときは、“かあちゃん”も女性だなって思います(笑)」

自分の仕事が大好きで、だからこそとことん人にも自分にも厳しい母。いつも一緒にいられたわけではないけれど、山川さんにとって母は人生の大いなる師であることは間違いない。

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松前後記:
世界でシェアをのばすECサイトを構築される山川社長は、ラグビー日本代表で明治監督だった、吉田義人さんご夫妻からご紹介を頂き、御縁を繫いで頂きました。「日本の経済を加速させるような、すごい若手経営者がいる」と、奥様の亜里さんが、山川社長のことをおっしゃっていて、ビィーフォワード恒例のバーベキューパーティに参加させて頂いたのですが、日本人はもちろん世界各国の国籍の違う従業員の方々が、本当に和をもって笑顔で会を盛り上げ、仕切っていらして、朗らかで楽しく、素晴らしいイベントでした。ジェネリーノキングの取材を色々してくる中、共通しているのが、「働いている方が生き生きして、上下の関係性にも、自然な笑顔がこぼれている」ことです。これからの山川社長に目が離せません。
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聞き手/松前博恵  ライター/室作幸江 カメラマン/バロンフォトワーク 前田園子