home > 大西 洋

oonishi-第4回 ジェネリーノキング インタビュー

新たなる百貨店の姿をめざし、大胆な改革を次々と手がける百貨店最大手、三越伊勢丹ホールディングスの大西洋社長。
その俊敏で大胆な経営手腕に、各界からの注目が集まる。だが、意外にも子ども時代はおとなしく、中学、高校、大学の受験には苦労もあったとか。
子どもの受験に悩むママにこそ読んでもらいたい、心が軽くなるストーリーです!

(株)三越伊勢丹ホールディングス (株)三越伊勢丹
代表取締役社長執行役員  大西 洋

大西 洋(おおにし ひろし)プロフィール
1955年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部を卒業後、79年に伊勢丹(現・三越伊勢丹)入社。紳士統括部長などを経て、2008年に三越常務執行役員、伊勢丹常務執行役員。翌09年、伊勢丹社長、11年に三越伊勢丹社長に就任。12年2月より現職。著書に『三越伊勢丹 ブランド力の神髄』(PHP新書)がある。

失敗を恐れず悲観せず、つらく苦い経験は未来を切り拓くチカラになる

IMG_9861

きっかけは“お肉”
境遇を変えるために、中学受験に挑戦

中学、高校、大学と有名私立校で学び、卒業後は伊勢丹(現・三越伊勢丹)に入社。現在は、日本最大の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングスのトップとして、次々と改革に取り組む大西さん。2013年にはこれまでにないスケールで旗艦店の伊勢丹新宿本店を改装、いまや世界一の売上高と入店客数を誇る。
そんな輝かしい経歴の持ち主ゆえ、さぞや幼少時も活発で、リーダーシップを発揮したことだろうと思いきや、ご本人いわく「ものすごく暗かった」とのこと。意外なひと言である。
「家の都合で、幼稚園に通わなかったため、集団生活を経験したのは小学校に入ってから。そのせいもあって、なかなかなじめず、学校は好きじゃなかったですね。家に帰っても、母は働いていて、おじいちゃんだけ。鍵っ子で、暗かったんですよ(笑)」

三人兄弟の末っ子でおとなしい性格。母はなにかと心配だったようで、低学年の頃は、職場の昼休みを利用して頻繁に学校を訪れたという。
「今でもよく覚えているんですが、給食当番のエプロンの紐を結ぶために、学校に来てくれました。信じられないでしょ? でも、本当なんです(笑)。あれがどうにもできなくて…。わざわざ結びに来てくれました」

現在の活躍を知る人には想像できないエピソードだろう。だが、そんな大西少年も学年が上がるにつれ、活発な子どもへと成長。放課後には友達と一緒に野球やソフトボールで遊び、6年生の時には生徒会長に選ばれた。そして、勉強に対しても、目標をもって取り組むようになる。原動力となったのは“お肉”だ。

当時、大西家は母の実家を間借りしていたが、そこには母の双子の姉一家も暮らしていた。夫を戦争で亡くした伯母は、実家に戻って一人息子を育てていたからだ。そんな伯母親子を祖父は不憫に思っていたのだろう。食事の支度をするのは大西さんの母だったが、決まって10歳年上のいとこのほうが豪華なメニューだった。
「たとえば、いとこが豚のロースなら、こちらは野菜炒め。現実とはこういうものかと、子どもながらに思い知らされました。でも、おかげで、お肉ぐらい自由に食べられるように頑張らなきゃと思うようになりましたね」

そんな息子に対して、教育熱心だった母は「お肉を食べたいなら、いい学校を出て、いいところに勤めなさい」とアドバイスし、中学受験を薦めた。今とは違い、受験する小学生はクラスにせいぜい2、3人の時代。そんななか、トップクラスの小学生が通う進学塾に通い、受験に臨んだ。果敢なチャレンジ精神は、この時からである。

IMG_9865

要所で深く関わった母
高校受験以降は口出しせず、意志を尊重

もしも、あの時ああだったら、今とは違った人生を送っていただろう――。
人はよくこうした“たら・れば”の話をし、現実とならなかった別の人生に思いを馳せる。大西さんの学生時代にも“たら・れば”を語りたくなるような、人生の岐路があった。
まず一つめは中学受験だ。懸命に勉強したにもかかわらず、第一志望の麻布中学校は不合格。その他の試験にもすべて落ちてしまった。
「母がものすごく怖かった。『区立に行くか』という話が持ち上がった時、担任の先生から紹介されたのが桐蔭学園。創立してまだ3年という新しい学校だったのですが、自由でとてもいい学校だと言われて…。結局、そこに進みましたが、この桐蔭時代こそ人生の中で最も充実していた3年間でしたね。自分自身がきちんと意志をもって勉強やスポーツに打ち込んでいましたから」
このまま高校も桐蔭に進みたい。そう願っていたが、母の希望で半強制的に高校受験をすることに。
「意志が弱かったんです。それに何より母の思いを知っていたから、自分の希望を押し通すことはできませんでした」

大西さんにとって、母は特別な存在だった。体が弱かった幼少時、“ひきつけ”を起こすたびに、昼であれ、夜であれ、おんぶして病院に駆け込んでくれた。先述の給食のエプロンのエピソードも然り。いつも自分を守ってくれた。父親は短気で厳しい人だっただけに、自然と母になついたというのもある。ずっと働きづめで苦労ばかりの母が高校受験を薦めれば、イヤとは言えなかった。母の影響力は大きかったのである
「二人の兄が大学受験で苦労していたので、母としては大学附属の高校に進んで欲しかったようです。それで桐蔭を辞め、高校受験をすることにしました」

二つめの岐路だ。めざしたのは慶応義塾高等学校。だが、残念ながら不合格。桐蔭にも戻れず、どうしようという時に麻布高等学校から合格通知が舞い込んだ。
「入学したものの、どうにもなじめなくて…。勉強しようというモチベーションは一気に下がり、毎日ボウリングばかり。母はもちろん、学費を援助してくれた伯母にも不満をぶつけて(苦笑)。以来、母は進路について一切口を出すことはなくなりました」

おそらくもう自分の出る幕ではないと悟ったのだろう。7年前にこの世を去った母には、もはやその真意を尋ねることはできないが、大西さんは当時を振り返って、そう考える。
働いていましたから、あれこれ世話を焼くタイプではなかったけれど、教育にはこだわっていたので、要所でグッと関わってきた母でした。けれども、それも高校受験まで。大学受験は私の意志を尊重し、見守ってくれました

現役合格はできなかったが、1年間予備校でみっちり学び、慶応義塾大学に進学。遠回りしたものの、最終的には母も息子も満足する結果となった。

IMG_9930

未来を担う子どもたちのために
「cocoiku(ココイク)」プロジェクトをスタート

「社員を見ていて思うのは、男性よりも女性のほうがハキハキしていて元気があるということ。講演会などで質問してくるのも、たいてい女性ですから。お母さんたちが子育てに手をかけすぎるとよくいわれますが、それと関係があるのかもしれませんね」

つい親のほうが先回りしてしまうために、子どもが自ら考えて学ぶ機会が失われつつある昨今。そうした現状に一石を投じたいと、大西さんは「cocoiku(ココイク)*」という新しいプロジェクトをスタートさせた。

「cocoiku(ココイク)」とは、めまぐるしく変動する今の世界を生き抜く知恵として、「創造性」を育むために、子どもたちに学びの場を提供するものだ。ここでいう「創造性」とは、アートやデザインなどの最終的なものではなく、そこへ至るためのアイデアのプロセスのこと。前例のない事態に直面した時、深い洞察と理性的な判断で次の一歩を踏み出す、いわば“事態を打開できるチカラ”のことだ。こうしたチカラを、これからの未来を担う子どもたちに身につけてもらいたいとの思いから、新事業に踏み切った。具体的には、各界の第一線で活躍するクリエイターやスペシャリストを講師に招いたワークショップを中心に、山口情報芸術センター(YCAM)で開発された実績ある教育プログラムなどを、新宿にある伊勢丹会館の5階で実施する。

「子どもは自分の考えをちゃんと持っている」と大西さんはいう。失敗を叱るのではなく、安心して失敗し、その原因を考えたり対策を練って再チャレンジしたりする小さな背中をそっと後押しする。「cocoiku(ココイク)」は、そんな学びの環境でありたいと願う。
「とかく失敗すると、そのことだけを見て悲観しがち。でも、人生という長い目で見れば、そんな必要はありません。たとえつらいことがあっても、2~3年もすれば『あれはあれでよかった』と思えるものです。私自身がそうですから。昔と違って価値観は大きく変わり、今は多様性の時代。男の子にはもっと自由に、好きなことをさせてやるのがいいのではないでしょうか。やりたいことを精一杯やる。それが一番大切なことだと思います

 

cocoiku

cocoiku(ココイク)*  

http://www.cocoiku-isetan.com/

 


 

松前 博恵コメント:

私は伊勢丹新宿店が大大大好きです。それは店内にいると、まるでテーマパークにいるようなワクワク感が広がるからなんです。フロアー一つ一つの細部にコンセプトを感じて、気持ちが上がり、高揚する自分がいます。ショッピングしていると、すべて嫌な事も忘れちゃう。気がつくといつも新宿三丁目に降りている自分。

百貨店業界を驚かせる数々の大胆な改革を手がけてきた、カリスマ社長の大西社長と私が唯一、同じ価値観を持っているとしたら、この「ワクワクがとまらない」感覚を大切にしている所なのではないかしら?と、僭越ながら一方的に思っていたりします。

この「ワクワク」の感性を、私は息子達に持っていて欲しい。そんなヒントが実は随所に隠されている、今回のインタビューでした。

IMG_0115

聞き手/松前博恵(ライター/室作幸江   写真/多田直子)