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yamauchi_prof_0101第5回 ジェネリーノキング インタビュー

日本国内にある生命保険会社の中でMDRT会員数が突出し、優秀な人材が最も多いといわれるプルデンシャル生命保険。その営業のトップに立つ山内誠治氏にインタビュー!

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プルデンシャル生命保険株式会社   エグゼクティブ・ライフプランナー
部長 山内 誠治
山内 誠治(やまうちせいじ)プロフィール
1968年生まれ。法政大学経済学部卒業。都市銀行入行。
2001年プルデンシャル生命保険入社。以来数々の社内表彰、アワード受賞。MDRT終身会員。
※MDRT 世界の生命保険・金融サービス専門職のトップクラスのメンバーで毎年構成される組織。MDRT会員は卓越した商品知識を持ち、厳しい倫理基準を満たし、生命保険と金融サービスの専門家として世界中で認知されている。

どんな人になりたいのかという目的を明確にする。自分が思う「かっこいい人」を目指す。

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典型的なサラリーマン家庭。
父は非常に寡黙で母は社交的。僕は母似かもしれません(笑)

松前)山内さんはどのようなご家庭に育ったのでしょうか?

山内)僕は典型的なサラリーマン家庭に育ちました。父は新日鉄(当時)に勤めていて、母と、4つ違いの姉と僕との4人家族で、三鷹にある社宅に住んでいました。
父は非常に寡黙でほとんど喋らない人でした。でも、しつけには厳しかったしとても怖い存在でした。反対に、母は社交的でコミュニケーション能力が高いと言いますか、賑やかで本当によく喋ります。僕は母似かもしれません(笑)

父は箱根駅伝のスター選手。
でも本人からは一度もそんな話は聞いたことはありません。

松前)お父様は若い頃陸上で活躍されたそうですね。

山内)父は元陸上の選手で、5千メートルと1万メートルで当時の日本記録を出し、箱根駅伝でもスター選手だったそうです。父はアジア大会でもメダルを取り、オリンピックでも活躍を期待されていたのですが、病気で体を壊してしまって。夢半ばで陸上を断念したという人でした。ですから僕が生まれた時はもう引退していたんです。
父は3年前に亡くなりましたが、そういう話は本人からは一度も聞いたことがありません。自慢も一切しなかった。僕は周りの人や、親戚の叔父さんや母に「お父さんはすごかったんだよ」と聞かされていました。

自転車をこぐ父の後ろ姿。
スポーツ選手としては優秀でも会社では成果を出せなかった父。

松前)お父様のことで心に残っていることはありますか?

山内)父は寡黙であまり会話もしませんでしたので、いつも静かな人というイメージです。当時住んでいた社宅から三鷹駅まではけっこうな距離がありまして、父は駅まで自転車で通っていたのですが、その自転車の後ろ姿が印象に残っていますね。家族のために黙々と働きがんばっていたんだなと思います。
父は法政大学陸上部の時にかなり活躍したので、スポーツ推薦で八幡製鉄(新日鉄の前身)に入社しました。八幡製鉄といえばエリートの多い会社でしたし、入社した頃はちやほやされたと思いますが、その後陸上を引退した父にとってはかなり厳しい環境だったのではないでしょうか。スポーツ選手としては優秀でしたが、会社員としてはあまり成果を出せなかったようで出世もしていません。仕事も好きではなかったようですし、早く会社を辞めたかったのではないかと思います。だから僕が大学を卒業するのと同時に55歳で会社を早期退職しています。大学生はお金がかかりますから、僕が卒業するまでは稼がなければと思っていたのでしょう。それまで好きにさせてもらって本当に感謝しています。

目立ちたがり屋で活発な子供時代。
何にでも手を上げるタイプ。

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松前)
山内さんはどのようなお子さんでしたか?

山内)目立ちたがり屋で、何でもすぐに手を挙げて立候補するタイプでした。例えば、学級委員とか生徒会とか、クラブのキャプテンとか、長のつくものは全部やりたいというような。これは育てられ方というよりも、もともと持っていた気質じゃないかと思うんですよね。足も速いし、運動もできる。ひょうきんで勉強もできて、学級員で、みたいな。そういう活発な子でしたね。女の子にもすごくモテました。小学生の時が僕の人生のピークだったかな(笑)

目立って無視された日々。
すっかり消極的になってしまった中学以降。

山内)でも、小学校6年の時にちょっとしたイジメに遭ったんですよ。優等生で人気があったがゆえに、クラスのリーダーグループの子達に無視をされたという経験があります。その時に、あまり目立つと良くないんだなというのを学んだ気がします。
それから中学以降めっきり消極的になりましたね。僕は成長も遅くて中学生くらいまでは背も低くて。同級生達が声も変わって体も大きくなっていく中で、体力差みたいなものを感じていましたね。自分に自信がなくなってしまって、中学時代はあまり楽しくなかったですね。僕は中間層みたいな感じでしたね。

ヨットに明け暮れた大学時代。
鍛えられ強くなった!

松前)プルデンシャル生命には3千人の営業マンがいらっしゃるということですが、そのトップに立つようなメンタリティが生まれたのはどのあたりだと思いますか?

山内)大学の時に入った体育会のヨット部だったと思います。偶然ですが、入学した大学が父の母校でしたのでどこかで父を意識していました。僕も何かスポーツで頑張ってみたいと思っていましたね。
ヨット部では1年の半分位は江ノ島の合宿所で生活していましたので、学校にはほとんど行っていません。ヨットに明け暮れていました。ヨットは夏だけと思われるかもしれませんが冬もやります。寒くてね、海に落ちたりしますし、嫌ですよね。それひとつとっても僕はヨット部でかなり鍛えられたと思います。

同期が次々に夜逃げをしていく合宿生活。
理不尽なことがたくさん待っていた。

松前)合宿生活は大変そうですね。

山内)大部屋ですしプライバシーは無いし、先輩の命令には絶対服従、超封建的でしたね。理不尽なことがたくさんありました。でも神には逆らえません。入部した時、同期は15人だったんですが、最後に残ったのは4人でしたね。皆夜逃げしてしまったんです。
僕も逃げようと思ったんです。皆で逃げよう、という話になった時、佐々木という後に副キャプテンになる男が「お前ら逃げるなら逃げろよ。俺は一人でも続ける」と言うんですよ。すごい奴でしょ。で、じゃあ、続けるかと(笑)

4年生でキャプテンに。
全国大会を目指してクラブを改革。

山内)僕が4年でキャプテンになった時、練習はめちゃくちゃ厳しくするけど、無駄なルールは全て止めることにしたんですよ。ヨットを上手くなることに何の関係も無い意味不明なルールがたくさんありましたが、そういうのを全部撤廃しました。

松前)全国大会は出られたんですか?

山内)はい。ヨット部はまず関東インカレからチャレンジするんです。関東の大会には5、60校が参加するのですが、その中から上位6校だけが全日本インカレに出場できるんです。大変です。僕らの上の代もその上の代も全日本へ行けなかったんです。ですから勝ち抜いて、全日本インカレに出場が決まった時は本当に嬉しかったですね。

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やりがいと自由を求めて都市銀行を退職。

松前)大学卒業後は都市銀行に就職され、その後プルデンシャル生命に転職をされていますね。会社を変わられたのはなぜですか?

山内)ひとことで言うと、銀行の仕事にやりがいを感じられなかったからです。銀行には10年勤めましたがきつかったですね。働いている人はすごく優秀だしいい人が多いんですが・・・
銀行がお金を儲けるためには、手数料や利息などの収入のためにお金を貸さなければならないわけですけれども、貸した相手が潰れてしまうと銀行は困りますよね。ですからどういう相手にお金を貸し易いかというと、「うちはお金借りなくて大丈夫だ」っていう会社です。これなら貸しても安心ですよね。逆に、「貸してくださいお願いします」という会社には慎重にならざるを得ないんです。
「晴れた日には傘を差し出して、雨の日には取り上げる」と銀行のことを言った悪口がありますけど、実際そう思われても仕方がないような面もあるんです。「お金を借りたいんです」っていう人には貸せない。「要らない」って言う人に「借りてください」。これでは喜ばれないですよね。ですからもっと多くの人に喜んでいただける仕事がしたいと考えるようになりました。そして、転職のもう一つの理由が自由への渇望です。休み、予算も自分で決められない現状に窮屈なものを感じていました。僕は自由の欲求が強いみたいです。

子供もいたし、住宅ローンも抱えていた。
もうやるしかないという状況だった。

 

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松前)
プルデンシャルに移られた時はどういう状況でしたか?

山内)転職したときは32歳で、子供もいたし住宅ローンも抱えていました。プルデンシャルの社員ではありますけれど、給料形態は固定給でなく実績給なんです。最初の2年間だけは最低保証給がありますが、銀行の給料からすればかなり低い。ですから保険販売で成功しないと家族が養えないという状況です。バックドアは閉められていますし人脈も無い。追い詰められましたね。もうやるしかないっていう状況でした。

明確な目標を持つことでがんばれる。
仕事が好きなんでしょうね。

松前)そこからすごいですね、毎年役職が上がっていますね。
どうしてこんなにすごいことになったのでしょうか。

山内)目標を明確にしている、ということだと思います。僕の目標は、社内のコンテストで最高レベルのタイトルを毎年取ることなんです。これを続けるのはなかなか難しいです。運もよかったと思います。目標を目指しそれを達成するためにはどうしたらいいんだろうと、多分寝ている間も脳は考えているわけです。
最初は社内の教育システムで、後は先輩から教えてもらったり、研修会を開いたり。自分で新しい税金の知識などを学ぶために塾に通ったり大学院へ行って勉強したりしましたね。

松前)先輩が教えてくれるんですか?
社内の皆がライバルですよね。助け合いなどは無いものだと思っていました。

山内)確かにライバルではありますが、お互いに情報を交換し合うという文化がここにはあります。他の会社にはあまり無いかもしれませんね。僕は今は研修会の企画をしたり、教える人を選ぶということをしています。これはボランティアです。会社にやれと言われてやっているわけではありません。多分、今の仕事が好きなんですね。

成功の鍵は目標を明確にすること。
どんな人になりたいかという目的を持つこと。
僕は5つを満たすかっこいい人になりたい。

松前)積極的な男子が増えたらいいなと思いますが、こうすればいいのに、と山内さんが思うものはありますか?

山内)まず自分の目標を明確にすることではないでしょうか。目標を短期的なものとして捉え、さらにその先にある目的を明確にすることが大事だと思います。目的というのは「どんな人になりたいのか」ということです。
僕はかっこいい人になりたいですね。僕の思うかっこいい人は次の5つを満たす人です。

1. まず健康。僕はトライアスロンをやっているのですが、70代になっても完走できることを目指したいです。

2. 愛。自分の周りの人との関係が良いということ。夫婦間もそうだし、親子間、職場、お客様、友達・・・。

3. 力。自分のしている仕事で成果を出す。自分が価値ある存在であると自分で思えるかということです。

4. 自由。経済的な自由もそうですし、精神的な自由もそう。何にも捕らわれない。お金にも困っていない。

5. 楽しみ。人生を楽しむということです。

これが全部ある状態が僕はかっこいい人だと思いますね。成功者とも言えると思います。
健康で、愛に満たされ、仕事もうまくいって、精神的にもお金にも不自由していない。そして人生を楽しんでいる、これが理想です。

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本人が満たされていると感じられるか。

松前)なかなかこういう人は、いそうでいないような気がしますね。

山内)そうですね。このどれかが欠けている人はいっぱいいます。お金持ちだけど人間関係はボロボロとか、病気ですとか、仕事ばかりで楽しんでないとか。会社の経営は上手くいっているけど愛に満たされてない人、人間関係を悪くする人は案外多いですね。
サラリーマンでも満たされている人はいますしその人が成功者です。本人が満たされていると感じられたらそれでいいと思います。人が決めることではないですよね。この5つが満たされていたら毎日気分がいいですよね。僕もここを目指して頑張っていきたいと思っています。

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アメリカ本国を驚愕させたプルデンシャル生命の「売る力」: プレジデント社

 


聞き手/松前博恵(文章/坂 真智子)