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第7回 ジェネリーノキング インタビュー

「新和食」というオリジナリティあふれる世界を提案し、日本を代表する料理人のひとり、山下春幸シェフ。

料理の世界に進む夢を叶えられたのは、やさしくも厳しさのある親の教育があったからこそ。。
恵まれた環境に頼らず、自らの意志で道を切り拓いていった、その教育とは何なのか?
「こうなりたい!」とめざしたくなる母親像と、
「こうなってほしい!」と願う息子像のストーリーです。

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東京ミッドタウン「HAL YAMASHITA 東京」、東京スカイツリー「TOP TABLE」、シンガポール「Syun」エグゼクティブ オーナー シェフ    山下春幸(やましたはるゆき)
1969年兵庫県神戸市生まれ。大阪藝術大学卒業後、大手飲料メーカーに就職。料理人をめざし、世界各国で修業を積む。伝統的な日本のスタイルに今までにない斬新な組み合わせを取り入れた料理は「新和食」と呼ばれる。自身のレストランのほか、障害者支援ボランティア活動、政府関係のアドバイザー、全国各地での講演などに加え、現在、インターナショナルマスターシェフの一人として、世界を舞台にパワフルに活躍中。

何が正しくて、何がそうでないのか?
根本を教える家庭教育こそグローバル時代に必要不可欠

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自由を尊重しつつも厳しさのある母の教育

山下さんが料理の道に進むことを考えたのは、小学2年のときだ。『将来の夢』と題した作文の授業で「レストランを経営する」と書いた。
「当時、『料理天国』という料理バラエティ番組があったのですが、その世界に憧れまして。華やかなレストランの雰囲気に目が釘付けになったのです」

料理に対する興味は、実は、物心つかない頃から潜在的にあったようだ。
母によれば、テーブルの上の調味料を混ぜて遊んだり、ままごと遊びの道具を欲しがったりしたという。女のきょうだいがいるわけでもなく、一人っ子だったにもかかわらずだ。そして、そうした遊びに夢中になると、母は限りなくやらせてくれた。

「遊びでも勉強でも僕が集中しているときは、何も言わず、自由にさせてくれましたね。たとえ食事の時間になったとしても。
世の中には『ごはんが冷めるわよ。もう食べなさい』などと言って中断させる親御さんも多いようですが、腹が減れば食べるわけで(笑)。
『冷めるから食べなさい』というのは、一歩間違えると、過保護になるんじゃないかな?」

だからといって、山下さんの母親が自由気ままな放任主義者だったわけではない。どちらかといえば、非常に厳しさのある教育を実践した人だった。
山下さんはそれを「豊かな教育」と呼ぶ。

「今となっては肝心の理由を忘れてしまったのですが、小学校3年生の頃、『学校に行きたくない』と言ったことがあるんです。
そのときはスゴかった。『じゃあ、学校をやめなさい!』と母は言い、教科書を片っ端からビリビリと破り出したんです。
『行かないなら、必要ないでしょ?』と。これには僕のほうがびっくりしてしまって。『お願いだから、やめて!』と泣き叫んで、すがりついて母を止めました。
あの時の母の姿は、今でも脳裏に焼き付いていますね。以来、二度と『学校に行きたくない』と言わなくなりました。おかげで、中学も高校も皆勤賞です(笑)」

なんと勇気と度胸のある対応! しっかりとした信念がなければ、到底できないだろう。人間関係についても然り。
大人同士の会話に子どもが割り込んでくるなんて言語道断。一人っ子だからといって甘えは一切なく、大人と子どもの線引きはきっちりしていたという。

「何が正しくて、何がそうでないのか。それをきちんと教えてくれましたね」

 

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日本を離れることで独自の世界を切り拓く

わずか7歳で将来の目標を定めた山下さんだが、それに向かって一直線だったわけではない。中学、高校を卒業すると、大学に進学。卒業後は一般企業に就職した。料理人としてスタートを切ったのはそのあとだ。
もちろん、それまでの間、まるっきり料理から無縁だったわけではない。「好きこそ物の上手なれ」というように、誰に習うでもなく、台所の道具を使いこなし、10歳から料理をつくり、人にふるまった。

にもかかわらず、遠回りになったのは、父の助言があったからだ。実は、父も地元・神戸で飲食店を経営する料理人。
山下さんが中学生の頃、脱サラをして居酒屋を始めたそうだ。母も手伝い、夕方4時から深夜2時まで営業。しかも年中無休。夕飯は祖母と二人きりで食べるようになり、生活環境は劇変した。

「高校生になると、父の店の厨房でバイトをするようになりました。たくさんの人に『おいしい』と言ってもらい、父も認めてくれましたが、若い頃の様々な経験が必ず力になるから、多くのことを吸収しろと諭され、料理学校に通うことは叶いませんでした。

同じ道を歩んでいるからこそ、料理人として一人前になるには、多くの知識や経験、見分を広めることが必要だと考え、父はアドバイスしてくれたのだと。」

山下さんもその考えに納得し、さらに卒業後はお客様目線のホスピタリティを学ぶために、外食事業部のある大手飲料メーカーに就職した。
そこで2年間みっちり働いたあと、ようやく料理人への道をめざす。25歳のときだ。

「遅いなんてもんじゃない。料理人としては遅すぎるほど。しかも、料理学校も出ていない。あるのは『自分を表現できるのは料理しかない!』という思いだけ。
コンプレックスのかたまりで、とにかく人の3倍は働きました」

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二代目として父の店を継ぐという選択肢もあったが、それは環境に甘えてしまう事となると山下さんはいう。居酒屋のメニューではなく、フレンチをつくりたい。そこで、日本を飛び出し、海外に修行の場を求めた。

「といっても、料理学校も出ていないし、有名店で修行したわけでもないから、実績も紹介状もない。
ヨーロッパに行っても相手にされないのは目に見えていたので、アメリカやアジアに行きました。ニューヨーク、ロサンゼルス、ボストン、ダラス、フロリダ、香港。行く先々で、飛び込みで働かせてもらいました。
皿洗いがほとんどでしたが、日本人というだけで、天ぷらや寿司を握らされたことも(笑)。日本人としてのDNAを再認識させられましたね」

海外に出たことで、日本の食材をこれまでとは違った角度から見つめられるようになったと山下さんは振り返る。
初著書『レストランは小さなビジネススクール』でも書いているが、渡米前は、どこまでいってもフレンチやイタリアンのアレンジでしかなかった料理が、渡米後は何かの真似事ではなく、1品のオリジナルな和食に変化し始めた。山下さんが提案する「新和食」のはじまりである。

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世界で通用する武器は親に教えられた教育

言葉の壁、人種差別、文化の違い。日本を離れて初めて気づいたことがある。

「世界で通用するのは、親に教えられた精神教育。それこそが武器になる、ということです」

言葉もわからず、助けてくれる人もいない異国のキッチンで、自分はいま何を求められているか?
全身の毛穴という毛穴をすべて開かせるほどの集中力をもって、状況を把握し、瞬時に考え、判断していく。そうした一連の行動のなかで、基礎となったのが“親に教えられた教育”だった。

「電話が鳴っていれば、すぐに出る。道に倒れている人がいれば、手をさしのべる。そんな“当たり前のことを当たり前にする”というのが、親の教えのひとつでしたが、それこそが武器でした

何が正しくて、何がそうでないのか。その根本を教える家庭教育こそ、子どもを育てる上で最も大事と山下さんは力を込める。それが人生の基礎となる。言うなれば、親がルールブックだ。留学熱が高まる昨今だが、基礎ができていなければ、海外に出たところで意味がないと手厳しい。

「そういう意味では、僕は本当に両親に感謝しています」

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とことん考える時間を与えてくれ、自分を表現する方法を引き出してくれた。だからこそ、いま子育てに奮闘する母親たちに伝えたいことがある。

「お子さんたちに、何かしら自分を表現する方法を与えて欲しい。音楽でもダンスでもスポーツでも何でもいいんです。
そして、どんなときにもお子さんたちを信じてあげて欲しい」

中学のやんちゃ盛り、警察が介入するほどの派手なケンカをしたことがある。売られたケンカとはいえ、警察署で両親は土下座するほど平謝りだった。
ようやく署から出ると、父がひと言。「腹減ったな。うどんでも食いに行くか?」

「これには拍子抜け(苦笑)。一切怒られず、とがめられることもありませんでした。僕のことをちゃんと信じてくれていたんです。
平謝りの両親の姿を目の当たりにしたことで、もうこんなことはさせないと思いましたね」

子どもを信じ、子どもから信じてもらえる親子関係は、きちんとした家庭教育があってこそ。人任せではダメだ。
だが、私たちはつい忙しさを理由に、それを学校や塾など他人に任せがちだ。たとえば「食育」。食育こそ、家庭教育だと山下さんは言う。
とはいえ、学歴社会の弊害で、母の味を学ぶ前に家を出て、独立し、親になった人が多いため、継承されていないのが現状だ。
だが、そういう時代だからこそ、子どもにとっても親にとっても、家庭での食事を見直すことが大切なのではないだろうか。

世界を舞台に活躍し、料理人として大成功した山下さんだが、いまでも母は手強い存在だ。多忙な息子の健康を案じつつも、「親が生きているうちは一人前じゃないから。それだけは覚えておきなさい」。こんな言葉がすらりと出る、やさしくも強い母親になりたいものだ。


松前コメント:
山下シェフとお話していると、いつもパワーと元気を頂きます。ご自身の核となる芯がしっかりあり、経営者として、職人として、強固な精神力でありながら、優しさに溢れ、お茶目さと抜け感が、絶妙なバランス。 ハルヤマシタのお料理は、絶品で、本当に彩り綺麗。 天才です。 わたしの天然に突っ込む、関西人のツッコミも、また最高です笑(≧∇≦) 今回は、お母様のお話、本当に感慨深く、聞かせて頂きました! ありがとうございます。

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取材: 松前博恵   文: 室作幸江  カメラマン: バロンフォトワーク 多田直子