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第8回 ジェネリーノキング インタビュー

薬局チェーンを起業し、努力を重ね、事業規模110店舗までに大きくした。
しかし病気のクスリよりも、予防医学の大切さを痛切に感じ、会社を売却。
幼児教育事業などに投資を続ける傍ら、東京大学と共同開発したサプリメント「ブロリコ」が国内外で大ヒット。
免疫活性作用に着目し、ファイトケミカルの研究と開発に力を入れているイマジン・グローバル・ケア。

穏やかでもの静かな佇まいの木下社長ですが、輝かしい実績と、それを全て手放して新たな事業に踏み出していくという情熱を内に秘めたチャレンジャーであります。
子どもの頃の疾患を越えて、自分の力を信じることが出来たの理由は?木下社長のパワーの源に迫ります。

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イマジン・グローバル・ケア株式会社
代表取締役社長 木下弘貴(きのしたひろき)氏
1967年生まれ。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。東京大学大学院医学系研究所卒。保健学博士。信託銀行勤務を経て家業の不動産業を受け継ぐ。その後調剤薬局を開設し、110店舗にまでチェーン展開。2006年イマジン・グローバル・ケア(株)設立。東大との共同研究により商品開発、販売。海外にも販路を広げている。また、教育事業としてイマジン・インターナショナル・プリスクールとキッズ・プラネットを運営。子供たちの中に“人生を自分らしく生き抜く力”を育てることがミッション。趣味はトライアスロン。

誰かとの比較ではなく、ありのままの自分を受け入れてもらえること。
信じてくれる人の存在。きっとそれが芯になる。

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学校では一切しゃべらない子ども。先生との出会いで自信を持つことができた。

松前)木下社長は子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

木下)小学生の時は、学校では先生に質問されて答える以外は一切しゃべらない子どもでした。それが選択性緘黙症という、子どもに多い精神疾患だったと知ったのはずっと後のことです。家では普通にしゃべるんですけどね。その時はなぜそうなるのかわかりませんでした。
だんだんに治っていったようなのですが、途中からしゃべり出すのも何だか恥ずかしくて、「中学へ行ったらしゃべるから」と家族には言っていました。そして中学へ行って実際にしゃべると「木下がしゃべってる!」と同級生にびっくりされました(笑)

松前)そうだったんですか。ご両親はずいぶん心配されたでしょうね。

木下)心配していたとは思いますが、家では普通に会話をしていましたのでそこまで悲観的ではなかったような気がします。
1年生の時はどうしようもない落ちこぼれでしたが、小学校を出る頃の成績はだいぶ良くなっていました。多分それは先生のおかげです。3年から6年まで担任は同じ先生だったのですが、その先生が「この子は絶対に伸びるから!」とずっと周りにも親にも言い続けてくれて。自分で言うのもどうかと思いますが、知能指数も高かったらしいです。それで僕も自信を失わず、子ども心に「俺は絶対に伸びるんだ!」と思えたのだと思います。

松前)先生は木下さんのことをちゃんと見ていてくれたのですね。

 

母はいつも自分をそのまま受け入れてくれた。病気の父を家族で支えていた。

松前)お父様、お母様はどのような方ですか?

木下)母はとても愛情のある人ですね。僕は人見知りで集団行動が大嫌い。その上言いだしたら聞かないというような頑固さで、ずいぶん困らせたり心配をかけたりしたと思います。でも母は僕に問題行動があったり成績で学校に呼び出されたりした時も、いつも僕をそのまま受け入れてくれたように思います。

父は、僕が物心ついたときから肝臓を患っていました。体を労わりながら仕事を続けていましたので、僕にとって父は守らなければならないというような存在でした。家族も皆父に気を使っていましたね。
僕が大学院に入った時のつてで、東大病院の放射線治療の第一人者である医師に父を診てもらったんですが、その医師に「もう出来ることはありません」と言われちゃって。東大のキャンパスを二人でトボトボ歩いて帰ったのは忘れられません。もう何ともいえない気持ちでした。後年父は67歳で亡くなったのですが、その時は父を一人で死なせるわけにはいかないと、皆で代わりばんこに病院に泊りこんでいましたね。

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起業の原点は家に。自営業は良いときもあれば悪い時もある。

木下)父は不動産屋を営んでいました。母もそれを手伝って、経理から電話番までやっていました。仕事が上手く行くときは何百万円も入って、そうでない時は母が親戚からお金を借りていたところを見たこともあります。このままじゃ年を越せない、みたいな。でもそれが当たり前のことだと思っていました。
大学を出てから銀行でサラリーマンをしましたが、確かに楽しい面もありましたが、働いている人も働いていない人も給料をもらっているというところには正直違和感を覚えていました。そして、いつかは起業をしたいと考えていました。

調剤薬局チェーンを110店舗まで開拓。そして東大大学院へチャレンジ。

松前)調剤薬局を経営することになったきっかけは何でしょう?

木下)銀行を退職した後、父の不動産業を引き継ぐ形で3年ほどやりましたが、思うように収益は上がりませんでした。何かしなくてはと思っていた時にこれだと直感したのが調剤薬局でした。
当時医薬分業が進んでいましたので、調剤薬局へ参入したことはとてもタイミングが良かったと思います。あの頃は、毎日病院の周辺に行って立地の良い店舗を探していました。ここだと思った物件へ行っては「こちらで薬局をさせてくれませんか?」ってお願いするわけです。ほとんど話を聞いてくれませんでしたね、すごく迷惑がられまして(笑)でも毎日通っているうちにだんだん耳を傾けてくれるようになり、それなら木下さんに任せるよって言ってくれるようになって。最終的には110店舗まで広げることができました。

でも薬局チェーンの経営をしていたとはいえ、もともと文系出身でしたし薬学の知識もありません。薬剤師と対等な会話もできなかったんですね。これではいけないと思いました。専門的に勉強しようと、30歳の時東京大学大学院に入学して博士号を取りました。大変良い勉強になりました。

松前)勉強したいと思っても普通の人はなかなか東大の大学院には入れません。しかも文系から理系へ。本当にすごいことだと思います。

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薬が出来ることには限界がある。免疫力に着目したヘルスケア事業にチャレンジ。

木下)父を救えればいいのに、病気の人の力になれればいいのにという思いがありましたが、薬が出来ることは非常に限られています。血圧を下げるとかコレステロール値を下げることは出来ても、薬を飲んだからといって病気が完全に治るわけではないですよね。ほとんどが対症療法なわけです。薬による副作用もあるわけで、薬事医療の仕事をしているのにどこかで矛盾を感じていました。
そもそも病気にならなければいいのに、ならば予防に力を入れた方が良いのではというようなことを考えるようになりまして。そして作ったのが今の会社です。

松前)薬局チェーンが成功して、普通の人なら「後はこれを維持してゆこう!」と考えそうな気がするのですが、木下さんはそれを全て手放されたのですね。新事業での研究や開発にも莫大な資金が掛かるでしょうし、とてももったいないような気がするのですが(笑)社会的地位とか立場に執着は無いのですか?

木下)ありませんね。それよりもまさにイノベーションを起こし、社会を変えていくということに興味があります。
調剤薬局を手放したのも、薬局はただの競争だったからなんです。僕が店を出さなければ他の誰かが出すだけなんです。それよりも人が本来持っている免疫力を高め、健康寿命を延ばすための会社を作りたいという思いが強かったですね。食物から新しい物質を発見するとかファイトフードの開発とか、そういったもので健康が維持され人が幸せになるような、世の中に広く貢献できることの方が大切だと思っています。

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チャレンジの源は、自分は出来ると信じる力。

松前)木下さんが努力し、チャレンジを続けていく強い気持ちというのはどこから来るのでしょうか?

木下)何か良くないことが起きたとしても「くよくよ落ち込んでいてもしょうがない、前向きに頑張ろう」と思えることでしょうか。セルフイメージが高いのかもしれません。かつて先生が「お前は出来るんだ」と信じてくれたことや、母がいつも愛情を持って受け入れてくれたこと。誰かとの比較ではなく、そのままの僕を見ていてくれたこと。そういうものが恐らく僕の芯にあるのだと思います。

当社ではヘルスケア事業の他に教育事業としてインターナショナル・プリスクールを運営しているのですが、そこでもそういったものが非常に大事だと気付かされます。芯がしっかりしている子は本当に強いです。間違っていることは間違っているとはっきり言わなくてはいけませんが、根本的な部分で親が子どもを信じること、家族が味方であることは大事だと思います。自分はここに居ていいんだ、自分はもっと出来るはずだ、と子ども自身が思えることは何より力になるのだと思います。

松前)最後に、木下さんご自身の育てられ方とプリスクール運営の経験から、子育てをする上で大切なことは何だと思われますか?

木下)まずは子どもを無条件でありのままを受け入れるということ。
そして子どもの「好き」という気持ちを大切にし、後押しする。可能性を信じるということですね。
また親の希望を押し付けないということ。親は子どもにこうなってほしいとか、こうあるべきとか思いがちですよね。でもそこにあまり焦点を当てすぎるのはいけないと思います。
それから主体性。「Have to」ではなくて「Want to」。ねばならないではなく、自分は何がしたいのか、という気持ちを育てることが大切だと思います。


11124574_811295375615629_156539965_n松前コメント:
木下さん。ご家族をとても大切にされている方ですが、 わたしも御縁があり、お母様やお姉様にも何度かお会いさせて 頂く機会がありました。
お母様は、息子のカラダのことを、いつも心配されていて、いくつになっても、母の心配は変わらないな〜と感じたことがあります。 母の愛って、私も母親になり男の子を二人育てて初めて、理解できました。本気で心配してくれる、1番はお母さんかもしれないですね。 木下さんは、サラッとすごい事業をやってのけて、天才的な方だと しばしば思います。ピュアで、人見知りで、それでいて「この人」 と思ったら、とことん人に尽くす方で、男気に溢れています。

聞き手/松前博恵 (文:坂 真智子  写真:栗原美穂)